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最終更新日:2011年6月 日




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礼拝メッセージ要旨 2020年4月5日(日) 説教者:八幡福音教会 福井文彦牧師


あなたのための十字架              ヨハネ19:17〜24


今週は10日(金)にイエス・キリストが十字架にかけられた受難週です。キリストが十字架に付けられた場面をヨハネによる福音書から学びます。


第一 イエスの十字架の背景

「イエスはみずから十字架を背負って、されこうべ(へブル語でゴルゴダ)という場所に出て行かれた」(17)のです。これは紀元30年4月7日金曜日午前9時ごろのことです。ローマの法律によると極悪犯として死刑の判決を受けた者は、罰として自分を処刑する道具を自分で負って処刑場まで運ぶことになっていました。主は重い十字架をあえぎながら「苦難の道」(ヴィア・ドロロサ)を歩まれたのです。

イエスはイスカリオテのユダに裏切られ、アンナス、カヤパ、議会、ピラト、ヘロデ、再びピラトの前で裁判を受けられ、背中は裂け、肉体的、精神的にも憔悴しきっておられました。そのため、ご自分で負うことができず、クレネ人シモンが運びました。イエスが十字架につかられたと言われる箇所が2ヵ所あります。場所はどこであっても、主が十字架につけられたということは、まぎれもない歴史的事実です。


第二 イエスの十字架刑

「彼らはそこで、イエスを十字架につけた。イエスをまん中にして、ほかのふたりの者を両側に、イエスと一緒に十字架につけた」(18)のです。「十字架につけた」とは、文字通り、主が十字架上で処刑されたということです。

処刑に直接手を下したのはローマ兵ですが、しかし、その張本人は同じ民族の神の民で、神から律法を教えられていたユダヤ人、しかもそのように扇動したのは大祭司をはじめとする宗教的指導者でした。彼らは死の刑罰になどまったく値しない、何一つ罪を犯したことのない、罪のないイエスを十字架につけたのです。彼らは@神を冒涜したこと、Aローマ皇帝に反逆したこと、Bイスラエルの国に騒ぎを起こした、3つの罪を偽証し、それに基づいて死刑判決を下し、「彼らはそこで、イエスを十字架につけた」のです。

イエスの両手、両足を十字架に釘づけにし、「最も残酷な、最も厳しい、恐るべき刑罰」(キケロ)である十字架に付けたのです。栄光の主、いのちの君、愛の人、神の御子を、まるで犯罪のように、侮辱をもって、罵り、嘲り、罵詈雑言をはいて、苦痛を加え、十字架につけたのです。


第三 イエスの十字架の意味

1.罪人の私たちに代わって神に裁かれ死んでくださることにより、永遠の死、滅びから救ってくださいました。私たちはイエスにあって永遠の救い(いのち)にあずかったのです(ローマ6:23)。

2.血を流してくださり空疎な(空虚な内実のない)生涯から有益な生涯(神に覚えられる生涯)に生きる者と贖ってくださった(マタイ20:28、Tペテロ1:18〜19)。3.イエスの身代わりの死によって神と和解し(義とされ Uコリント5:18、21)、神と交わる生涯に入れられたのです。さらに、神がいつも共にいてくださる幸いな生涯に生きる者とされたのです(ローマ4:25)。




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